蒼穹のファフナー文章(ときどき絵)サイト
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2024.11.22 Friday
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君と僕とあの夏の日と16
2011.11.20 Sunday
「風船なんて配ってるの今時珍しいよな」
スーパーの新装開店記念のイベントが行われていたのを横目に見て一騎は言った。
総士は風船?と思っても特に昔から気にしたことがなくて、言われた意味が実はいまいち
理解出来ていなかったのだが、そもそもこの沿線で小さいながらも何かを配るような
イベントが行われることは久しく無かったように記憶しているので、まぁそうなのかなと
とりあえず頷いてみる。
「小さい頃はさ、あれ貰うとすごい嬉しかったんだ」
と一騎は微笑ましそうに子供達が風船を貰って行く光景を見て言う。
まぁ今でも貰ったら嬉しくないわけでもないんだけど、と少し気恥ずかしそうに一騎は
付け加えた。
「貰いに行くか?」
何の気なしに尋ねると、「いいってば」とまた頬を赤くして一騎は反対したが、
ちらりと見た看板には期限は今日までという文字が書かれていて、丁度駅に行く道すがらでも
あったので、総士は一騎の腕を無理矢理引っ張ると、風船を配っている人の側に歩いて行った。
「どうぞ」
子供だけかと思ったら意外と普通に差し出されてしまった黄色い風船を目の前にすると、
自分から連れてきたくせに受け取るのが恥ずかしくなって困ったなと思って総士が躊躇った瞬間、
まるで見計らったかのように横から一騎が手を出して風船を受け取る。
「ありがとうございます」
と、さっきまであれだけ恥ずかしそうにしていたのに今ではにこりと微笑みまで浮かべて会釈を
する一騎になんだか呆れるような感心するような複雑な気持ちで総士は見つめると、今度は総士
の方が腕を取られてぐいぐいと引っ張られる。
夕方の人波をかき分けるように駅のホームへと歩くと、丁度そこへ来た電車に滑り込んだ。
なぜかあまり人の乗っていない車両だったのでまたも椅子にゆったりと二人で腰掛けると、
貰った風船の糸をくるくると指に巻きつけたり解いたりしながら一騎が口を開いた。
「昔さ、まだ母さんがいた頃なんだけど」
一旦言葉を切った一騎と、その紡がれた言葉に総士は思わず一騎の方を見やる。
すると一騎は「別に大した事じゃないんだけどさ」と困ったように笑ってまた口を開いた。
「今日みたいによく風船貰う機会があって、で、いつもは貰った途端に離さないように指にぐる
ぐる糸巻いて持ってたんだけど、なぜか一回だけそれをしなかった時があって、そしたらやっぱ
りふとした瞬間に持ってた手を離しちゃって、飛んでっちゃったんだよね」
そこまで言って一騎は総士をちらりと見ると、また思い出したような顔をして笑う。
「みるみるうちに空高く飛んでってさ、でもなんか、そこら中にある電柱の上にもしかしたら
引っかかってるんじゃないかって思えて、ずっと家に帰るまで電柱ばっかり見てて、そしたら
母さんが、また買ってあげるから諦めなさいって言うんだけど、確かに同じ黄色い風船でもさ、
その風船とあの飛んでった風船は違うんだって、なんかずっと駄々こねてた」
今思えば確かに色も形も同じなんだけど、なんかあの頃はそれが全然違うものに見えてたんだ、
と一騎は言って指に巻いた糸をくるくると解き始める。
「あ」と一騎が口を開けた瞬間、指に巻きついていたはずの糸がするりと抜けて風船が浮かび
上がる。
総士は慌ててその糸を掴むと、風船を一騎の側へ引き寄せた。
まぁ、電車の中だから飛んで行ったとしても天井までなのだけれど。
「ごめん」
そう言って一騎はまた大事そうに糸をくるくると指に巻き始める。
「ちゃんと持ってろって、代わり、ないんだから」
総士が呟くと、そうだね、と言って一騎は風船を持っていない方の手で総士の手をそっと握った。
スーパーの新装開店記念のイベントが行われていたのを横目に見て一騎は言った。
総士は風船?と思っても特に昔から気にしたことがなくて、言われた意味が実はいまいち
理解出来ていなかったのだが、そもそもこの沿線で小さいながらも何かを配るような
イベントが行われることは久しく無かったように記憶しているので、まぁそうなのかなと
とりあえず頷いてみる。
「小さい頃はさ、あれ貰うとすごい嬉しかったんだ」
と一騎は微笑ましそうに子供達が風船を貰って行く光景を見て言う。
まぁ今でも貰ったら嬉しくないわけでもないんだけど、と少し気恥ずかしそうに一騎は
付け加えた。
「貰いに行くか?」
何の気なしに尋ねると、「いいってば」とまた頬を赤くして一騎は反対したが、
ちらりと見た看板には期限は今日までという文字が書かれていて、丁度駅に行く道すがらでも
あったので、総士は一騎の腕を無理矢理引っ張ると、風船を配っている人の側に歩いて行った。
「どうぞ」
子供だけかと思ったら意外と普通に差し出されてしまった黄色い風船を目の前にすると、
自分から連れてきたくせに受け取るのが恥ずかしくなって困ったなと思って総士が躊躇った瞬間、
まるで見計らったかのように横から一騎が手を出して風船を受け取る。
「ありがとうございます」
と、さっきまであれだけ恥ずかしそうにしていたのに今ではにこりと微笑みまで浮かべて会釈を
する一騎になんだか呆れるような感心するような複雑な気持ちで総士は見つめると、今度は総士
の方が腕を取られてぐいぐいと引っ張られる。
夕方の人波をかき分けるように駅のホームへと歩くと、丁度そこへ来た電車に滑り込んだ。
なぜかあまり人の乗っていない車両だったのでまたも椅子にゆったりと二人で腰掛けると、
貰った風船の糸をくるくると指に巻きつけたり解いたりしながら一騎が口を開いた。
「昔さ、まだ母さんがいた頃なんだけど」
一旦言葉を切った一騎と、その紡がれた言葉に総士は思わず一騎の方を見やる。
すると一騎は「別に大した事じゃないんだけどさ」と困ったように笑ってまた口を開いた。
「今日みたいによく風船貰う機会があって、で、いつもは貰った途端に離さないように指にぐる
ぐる糸巻いて持ってたんだけど、なぜか一回だけそれをしなかった時があって、そしたらやっぱ
りふとした瞬間に持ってた手を離しちゃって、飛んでっちゃったんだよね」
そこまで言って一騎は総士をちらりと見ると、また思い出したような顔をして笑う。
「みるみるうちに空高く飛んでってさ、でもなんか、そこら中にある電柱の上にもしかしたら
引っかかってるんじゃないかって思えて、ずっと家に帰るまで電柱ばっかり見てて、そしたら
母さんが、また買ってあげるから諦めなさいって言うんだけど、確かに同じ黄色い風船でもさ、
その風船とあの飛んでった風船は違うんだって、なんかずっと駄々こねてた」
今思えば確かに色も形も同じなんだけど、なんかあの頃はそれが全然違うものに見えてたんだ、
と一騎は言って指に巻いた糸をくるくると解き始める。
「あ」と一騎が口を開けた瞬間、指に巻きついていたはずの糸がするりと抜けて風船が浮かび
上がる。
総士は慌ててその糸を掴むと、風船を一騎の側へ引き寄せた。
まぁ、電車の中だから飛んで行ったとしても天井までなのだけれど。
「ごめん」
そう言って一騎はまた大事そうに糸をくるくると指に巻き始める。
「ちゃんと持ってろって、代わり、ないんだから」
総士が呟くと、そうだね、と言って一騎は風船を持っていない方の手で総士の手をそっと握った。
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君と僕とあの夏の日と15
2011.11.20 Sunday
次の日も、前日とそう変わらない土砂降りの雨だった。
総士は残っていた生徒会の仕事を手短に片づけると待ち合わせの場所へと急ぐ。
今日は、約二週間振りに一騎が部活を見学する予定なのだが、なんとなく一緒に行こうと思った。
昨日半ば有無を言わさぬ形で決めてしまったのだが、一騎は特に嫌そうな気配も見せず普通に頷いた。
総士は階段を下りると、体育館へと続く渡り廊下の手前に立ち止まって辺りを見渡す。
午後もかなりの時間が過ぎた校内は廊下を行き来する生徒の数もまばらで、
雨の所為で低く垂れこめた雲が光を遮ってはどんよりと暗い空気を充満させている。
そんな雰囲気を遮るように総士は額に掛った前髪を手で払うと、腕時計に目をやった。
丁度、約束の時間だった。
総士は再度顔を上げるとまた辺りをぐるりと見渡す。
けれどさっきまでいた数人の生徒すらもうどこかへ消えていて、辺りには誰一人居なかった。
なんだかその空気に嫌な感覚が呼び起こされるような気がして、総士は携帯を出す。
「今、どこにいるんだ?」
要件だけ書いたメールを手早く送信すると、総士は歩き始めた。
一騎のいそうな場所なんてそうそうここには無いと思う。
でも総士に何も言わず校外に出ていくような事はしないだろうとも思う。
何だか変に真面目な所が一騎には昔からあるからだ。
メールが返信されてくる気配は無い。
どうせバッグの中に入れたままなんだろうな、と苦笑する。
そんなことを思いながら階段を上って二階まで来ると、総士は一番手前の教室のドアにそっと手を掛けた。
「一騎」
ガラ、と小さな音を立ててドアが開くと、机の上に突っ伏したまま動かない一騎の姿があった。
びく、と肩が動いてゆっくりと顔が上に向けられる。
片目だけの視界を遮るように掛った前髪を掻き揚げると、一騎はすぅっと目を細めて総士を見た。
「そー…し」
僅かに口から漏れ出た自分の名前に、総士はほっとしたように笑みを浮かべて一騎の元へと歩み寄る。
前の席の椅子に座ろうとした瞬間、ごめん、と小さく聞こえたような気がした。
「寝てたのか?」
責めるつもりなど微塵もなかったので、総士はなるべく優しく問いかけると、一騎はふるふると首を横に振る。
何か言うのだろうかと少し待ったが俯き加減のまま一騎は何も喋らなかった。
「…どうした?」
「…ごめん」
再度謝罪の言葉を口にした一騎に総士が口を開きかけると、やっぱり行けない、とだけ一騎は言った。
開きかけた口を一旦閉じて総士は一騎を見ると、そっと机の上で握りしめられた手の上に自分の手を重ねる。
強く力が籠り過ぎているのを少しでも和らげるようにゆっくりと拳を覆って少しだけ力を入れた。
その様子に一騎が総士の方を見る。
解っていたかのように総士は一騎の視線を受け止めて微笑むと、一騎は困ったような顔をして唇を噛んだ。
「言わなくていいよ」
総士はそれだけ言うと、また一騎に視線を戻す。
え?と声には出さずに口を開けた一騎を見て総士は続ける。
「理由が聞きたいわけじゃないし、無理矢理行かせようとも思わない」
ただ、ね、と言って総士は一旦言葉を切る。
一騎はじっと総士を見つめたままだったが、まだ困惑のような不安のような表情をしていることだけは確かで。
総士は一騎の手をやんわり握りしめる。
「一騎が、行きたいって思ってくれるようになったいいなとは思ってるから」
総士が微笑むと一騎ははっとしたような表情を浮かべてはすぐに俯いてしまう。
特に深追いとして何か言葉を掛けることもなく総士はただそのまま一騎を見守る。
窓の外は相変わらず土砂降りの雨で、まだ午後の3時だというのに
心なしかさっきよりも暗くなったような気がする。
総士はひとつ深く呼吸をすると、まだ俯いたままの一騎に「帰ろう」とだけ言った。
一騎は少しだけ顔を上げて頷く動作をする。
「傘、持ってきたか?」
まさかと思って尋ねたが、またもふるふると首を横に振った一騎を見て総士は今度こそ本当に苦笑した。
総士は残っていた生徒会の仕事を手短に片づけると待ち合わせの場所へと急ぐ。
今日は、約二週間振りに一騎が部活を見学する予定なのだが、なんとなく一緒に行こうと思った。
昨日半ば有無を言わさぬ形で決めてしまったのだが、一騎は特に嫌そうな気配も見せず普通に頷いた。
総士は階段を下りると、体育館へと続く渡り廊下の手前に立ち止まって辺りを見渡す。
午後もかなりの時間が過ぎた校内は廊下を行き来する生徒の数もまばらで、
雨の所為で低く垂れこめた雲が光を遮ってはどんよりと暗い空気を充満させている。
そんな雰囲気を遮るように総士は額に掛った前髪を手で払うと、腕時計に目をやった。
丁度、約束の時間だった。
総士は再度顔を上げるとまた辺りをぐるりと見渡す。
けれどさっきまでいた数人の生徒すらもうどこかへ消えていて、辺りには誰一人居なかった。
なんだかその空気に嫌な感覚が呼び起こされるような気がして、総士は携帯を出す。
「今、どこにいるんだ?」
要件だけ書いたメールを手早く送信すると、総士は歩き始めた。
一騎のいそうな場所なんてそうそうここには無いと思う。
でも総士に何も言わず校外に出ていくような事はしないだろうとも思う。
何だか変に真面目な所が一騎には昔からあるからだ。
メールが返信されてくる気配は無い。
どうせバッグの中に入れたままなんだろうな、と苦笑する。
そんなことを思いながら階段を上って二階まで来ると、総士は一番手前の教室のドアにそっと手を掛けた。
「一騎」
ガラ、と小さな音を立ててドアが開くと、机の上に突っ伏したまま動かない一騎の姿があった。
びく、と肩が動いてゆっくりと顔が上に向けられる。
片目だけの視界を遮るように掛った前髪を掻き揚げると、一騎はすぅっと目を細めて総士を見た。
「そー…し」
僅かに口から漏れ出た自分の名前に、総士はほっとしたように笑みを浮かべて一騎の元へと歩み寄る。
前の席の椅子に座ろうとした瞬間、ごめん、と小さく聞こえたような気がした。
「寝てたのか?」
責めるつもりなど微塵もなかったので、総士はなるべく優しく問いかけると、一騎はふるふると首を横に振る。
何か言うのだろうかと少し待ったが俯き加減のまま一騎は何も喋らなかった。
「…どうした?」
「…ごめん」
再度謝罪の言葉を口にした一騎に総士が口を開きかけると、やっぱり行けない、とだけ一騎は言った。
開きかけた口を一旦閉じて総士は一騎を見ると、そっと机の上で握りしめられた手の上に自分の手を重ねる。
強く力が籠り過ぎているのを少しでも和らげるようにゆっくりと拳を覆って少しだけ力を入れた。
その様子に一騎が総士の方を見る。
解っていたかのように総士は一騎の視線を受け止めて微笑むと、一騎は困ったような顔をして唇を噛んだ。
「言わなくていいよ」
総士はそれだけ言うと、また一騎に視線を戻す。
え?と声には出さずに口を開けた一騎を見て総士は続ける。
「理由が聞きたいわけじゃないし、無理矢理行かせようとも思わない」
ただ、ね、と言って総士は一旦言葉を切る。
一騎はじっと総士を見つめたままだったが、まだ困惑のような不安のような表情をしていることだけは確かで。
総士は一騎の手をやんわり握りしめる。
「一騎が、行きたいって思ってくれるようになったいいなとは思ってるから」
総士が微笑むと一騎ははっとしたような表情を浮かべてはすぐに俯いてしまう。
特に深追いとして何か言葉を掛けることもなく総士はただそのまま一騎を見守る。
窓の外は相変わらず土砂降りの雨で、まだ午後の3時だというのに
心なしかさっきよりも暗くなったような気がする。
総士はひとつ深く呼吸をすると、まだ俯いたままの一騎に「帰ろう」とだけ言った。
一騎は少しだけ顔を上げて頷く動作をする。
「傘、持ってきたか?」
まさかと思って尋ねたが、またもふるふると首を横に振った一騎を見て総士は今度こそ本当に苦笑した。
君と僕とあの夏の日と14
2011.11.20 Sunday
その日の夜は、どしゃ降りの雨になった。
一騎は窓越しに雲に覆われた夜空を見上げてはため息を吐く。
窓の外側を滴り落ちる雨粒に指を這わせては、今日じゃなければよかったのにと呟いた。
それもそのはず、今日は年に一回開催される花火大会の日だった。
近くの海岸で行われるそれは、付近の住民はおろか隣県からも見物客が訪れるほどには大きな花火大会で、
一騎達も小さい頃から毎年行っている。
漆黒の夜空に打ち上げられる大玉の花火はとても綺麗で、夏の始まりを告げるに相応しいものだった。
と、ぼんやり思っていると、ぽんと頭に軽い感触がして一騎は振り返る。
そこには、なんだか困ったような微笑をたたえた総士が立っていて、一騎も思わず困ったように笑った。
「来週に延期だって」
「…そっか」
「さっき濡れただろ、包帯取り替えるからこっち座って」
総士は言って、一騎をリビングのソファーに座らせる。
すでに用意されていた救急箱を見ては、なんかこれにお世話になるのも慣れたよなと
一騎はなんともいえない微妙な気持ちでまた見つめる。
その間にも手際良く総士は包帯をくるくると外して、とりあえず濡れていた髪にバスタオルを被せて拭き始めた。
「…ねぇ、総士」
「ん?」
被せられたバスタオルの中で呟いた自分の声は、なんだか余りにも情けない籠った音に聞こえて、
一騎ははっとして、やっぱなんでもない、とだけ返す。
ひとつひとつの呼吸音すら大げさに聞こえるような気がして居心地が悪い。
一騎が思わず両手をぎゅっと握りしめた瞬間、まるでそれを察知したかのようにタオルは取り除かれて、
代わりに開けた明るい視界の中に総士が映って、なんだかとても安心する。
「ごめんな」
そう言って、総士はそっと一騎の右目を覆うガーゼに手を伸ばす。
外すのが痛いかもしれないからと謝ったのだろうけれど、もうあと数日で抜糸になるだけの傷は殆ど塞がって、
痛みなんて感じる筈もないのに、ガーゼが外れる瞬間にはなぜか顔を顰めてしまった。
「ごめん」
もう一度総士は申し訳なさそうに言った。
痛くなんてなかったのに。
心配されたいだけなのかな、なんて一騎は思って顔を上げられずにいると、ひた、と左頬に手を添えられて、
消毒液を浸した冷たいガーゼが右目にそっと触れた。
縫合痕に沿って押しあてられるそれに、はっきりと見たことはないけれど自分の傷の大きさとか形を再確認
するような感覚がする。
やがてガーゼが外されると、次は化膿止めの軟膏が塗布される筈で、あの匂いと油っぽい軟膏特有の感触が
一騎は苦手で仕方なかった。
総士は何も言わずに、人差し指につけた薬をそっと一騎の右目に塗り始める。
くすぐったくて気持ち悪くて、目を普通に閉じていることがなんだかとても難しい。
「くすぐったいよ」
思わず口にすると、総士は苦笑いをしたような雰囲気で、もう終わるからとだけ告げた。
言い終わらない内に新しいガーゼが目を覆って、テープでしっかりと固定される。
ふと、手が止まった気がして一騎は総士を見ると、
「ちゃんと治りそうだな」
と言って総士はふんわり笑った。
一騎は思わず右目のガーゼに触れるとまた総士を見つめた。
「…あ」
言いかけようと口を開いて、でも止めてしまった。
どうした?と総士は首を傾げていたが、一騎は俯いてしまう。
「痛むのか?」
心配そうな声色で聞いてくる総士に、一騎はぶんぶんと首を振る。
最初は戸惑うばかりだった片目だけの視界にもいつしか慣れてきて、それが普通になって、
ずっと前からこんな風に世界が見えていた総士との期間限定の共通点だとはわかっていたつもりなのに、
それがなくなるというのが、急に怖いように思えてきてしまったのだ。
総士がそんなことを望まないのは痛いほどわかっているつもりだけれど、このままいられるなら、
このままでもいいんじゃないかと、そんな風に思えてしまう自分がいるのを否定は出来なかった。
すると、目の前にいた筈の総士がいつのまにか立ちあがって一騎の横に座る。
そして一騎の肩に腕を回すと、ぎゅと力を込めて引き寄せた。
「来週、一緒に練習見に行こう、ずっと行ってなかっただろ?」
一騎がそろりと見上げると、総士はまた優しく笑う。
「大丈夫だから」
そう言って総士は、一騎のおでこにこつんと自分のおでこをぶつけた。
そしてちょっとだけ、腕の力を強くする。
まだ事あるごとに悟られないように小刻みに震える身体に、気付いていない訳ではなかった。
一騎は窓越しに雲に覆われた夜空を見上げてはため息を吐く。
窓の外側を滴り落ちる雨粒に指を這わせては、今日じゃなければよかったのにと呟いた。
それもそのはず、今日は年に一回開催される花火大会の日だった。
近くの海岸で行われるそれは、付近の住民はおろか隣県からも見物客が訪れるほどには大きな花火大会で、
一騎達も小さい頃から毎年行っている。
漆黒の夜空に打ち上げられる大玉の花火はとても綺麗で、夏の始まりを告げるに相応しいものだった。
と、ぼんやり思っていると、ぽんと頭に軽い感触がして一騎は振り返る。
そこには、なんだか困ったような微笑をたたえた総士が立っていて、一騎も思わず困ったように笑った。
「来週に延期だって」
「…そっか」
「さっき濡れただろ、包帯取り替えるからこっち座って」
総士は言って、一騎をリビングのソファーに座らせる。
すでに用意されていた救急箱を見ては、なんかこれにお世話になるのも慣れたよなと
一騎はなんともいえない微妙な気持ちでまた見つめる。
その間にも手際良く総士は包帯をくるくると外して、とりあえず濡れていた髪にバスタオルを被せて拭き始めた。
「…ねぇ、総士」
「ん?」
被せられたバスタオルの中で呟いた自分の声は、なんだか余りにも情けない籠った音に聞こえて、
一騎ははっとして、やっぱなんでもない、とだけ返す。
ひとつひとつの呼吸音すら大げさに聞こえるような気がして居心地が悪い。
一騎が思わず両手をぎゅっと握りしめた瞬間、まるでそれを察知したかのようにタオルは取り除かれて、
代わりに開けた明るい視界の中に総士が映って、なんだかとても安心する。
「ごめんな」
そう言って、総士はそっと一騎の右目を覆うガーゼに手を伸ばす。
外すのが痛いかもしれないからと謝ったのだろうけれど、もうあと数日で抜糸になるだけの傷は殆ど塞がって、
痛みなんて感じる筈もないのに、ガーゼが外れる瞬間にはなぜか顔を顰めてしまった。
「ごめん」
もう一度総士は申し訳なさそうに言った。
痛くなんてなかったのに。
心配されたいだけなのかな、なんて一騎は思って顔を上げられずにいると、ひた、と左頬に手を添えられて、
消毒液を浸した冷たいガーゼが右目にそっと触れた。
縫合痕に沿って押しあてられるそれに、はっきりと見たことはないけれど自分の傷の大きさとか形を再確認
するような感覚がする。
やがてガーゼが外されると、次は化膿止めの軟膏が塗布される筈で、あの匂いと油っぽい軟膏特有の感触が
一騎は苦手で仕方なかった。
総士は何も言わずに、人差し指につけた薬をそっと一騎の右目に塗り始める。
くすぐったくて気持ち悪くて、目を普通に閉じていることがなんだかとても難しい。
「くすぐったいよ」
思わず口にすると、総士は苦笑いをしたような雰囲気で、もう終わるからとだけ告げた。
言い終わらない内に新しいガーゼが目を覆って、テープでしっかりと固定される。
ふと、手が止まった気がして一騎は総士を見ると、
「ちゃんと治りそうだな」
と言って総士はふんわり笑った。
一騎は思わず右目のガーゼに触れるとまた総士を見つめた。
「…あ」
言いかけようと口を開いて、でも止めてしまった。
どうした?と総士は首を傾げていたが、一騎は俯いてしまう。
「痛むのか?」
心配そうな声色で聞いてくる総士に、一騎はぶんぶんと首を振る。
最初は戸惑うばかりだった片目だけの視界にもいつしか慣れてきて、それが普通になって、
ずっと前からこんな風に世界が見えていた総士との期間限定の共通点だとはわかっていたつもりなのに、
それがなくなるというのが、急に怖いように思えてきてしまったのだ。
総士がそんなことを望まないのは痛いほどわかっているつもりだけれど、このままいられるなら、
このままでもいいんじゃないかと、そんな風に思えてしまう自分がいるのを否定は出来なかった。
すると、目の前にいた筈の総士がいつのまにか立ちあがって一騎の横に座る。
そして一騎の肩に腕を回すと、ぎゅと力を込めて引き寄せた。
「来週、一緒に練習見に行こう、ずっと行ってなかっただろ?」
一騎がそろりと見上げると、総士はまた優しく笑う。
「大丈夫だから」
そう言って総士は、一騎のおでこにこつんと自分のおでこをぶつけた。
そしてちょっとだけ、腕の力を強くする。
まだ事あるごとに悟られないように小刻みに震える身体に、気付いていない訳ではなかった。
君と僕とあの夏の日と13
2011.11.20 Sunday
「あ」
「久しぶり」
一騎は総士を迎えに生徒会室に向かい、勢いよくドアを開けた途端、
中にいた人物が総士ではなくてなんだか驚いて固まってしまった。
「今ちょっと誰もいないんだけど、中入れば?」
と笑い掛けた相手に一騎は反射的に頷いてしまって、そのまま教室へと足を踏み入れると静かにドアを閉める。
ぽんぽん、と机を叩いて向かいへ座れとでも言いたそうにこちらを見つめる視線に、
変に焦りのような気持ちが沸き上がって椅子を引くとそのまま一騎は座った。
「暑っついよねぇ」
何を話されるのかと身構えた一騎に、目の前の相手、将陵僚はぼけっと窓の外を眺めると、
肘をついていた腕で長い前髪をかき揚げる。
日に焼けていない白い肌に、太陽に照らされた黒髪がキラキラと映えて、
なんだか自分とは次元の違う人のように感じてしまう。
たった1年違うだけなのに、というかあと1年経ったら自分もこんな風に大人っぽくなれるのかなぁと、
僚の左腕の腕時計を見ながら一騎はぼうっと考えた。
教室にある大きな時計とか開けたら表示される携帯の時計とは違って、
きっちりはめられた腕時計を見ていると、なんだかその人だけの時間を持っているような感じがして、
それが何となく大人だよなぁと、まぁ生徒会長だから仕方ないのかもしれないけど、
と一騎は目の前の僚の顔を見つめては、ばっちりと目が合ってしまって恥ずかしくなって目を逸らした。
「告白でもされるのかと思った」
「…は?」
クスクスと笑いながら呟いた僚に一騎は「違います…ってば」と返すと、
僚はまたこちらを見ながらクスクスと笑う。
「真壁ってさ、普通に見ればかっこいいんだけどさ、なんか…かわいいよな」
「…どういう、意味ですか?」
「そのまんま」
そう言って僚は重ねた両手の上に顔を乗せると、一騎を下から覗き込む。
やたら遊ばれてる気分がして一騎はどうしていいかわからなかったのだが、
ずっと見られていると思うと嫌でも顔が熱くなってくるような気がして思わず目が合わないように下を向いた。
「ごめん、かわいいからついからかいたくなっちゃった」
「か、かわいいって」
「うん、だから、ごめん」
顔上げてよ、と僚に言われておそるおそる一騎は顔を上げると、
さっきまでとは違って柔らかい表情を浮かべた僚の顔があった。
「傷は良くなった?」
「あ、はい、まだ完治とまではいかないですけど」
「そっか、なんか心配してたんだ」
「え?」
「皆城がさ、やたら最近不安定だったから」
「総士が?」
「あいつがそんななるなんて、たぶん真壁の事なんだろうなって」
「…俺、ですか?」
「仲良すぎだし、お前ら」
そう言って悪戯っぽく笑った僚に一騎はまた何も返せなくなって下を向く。
「でもなんか、皆城の気持ちも解るかも」
と続けた僚に、一騎は目線だけちらりと上を向くと、僚は笑って「だってなんかかわいいし」とまた言った。
「何で…」
と一騎はまたも下を向いて、やたら上機嫌で話しかけてくる僚に何を言ったらいいものかと困っていると、
僚が口を開いた。
「もう少し、あと1分くらいかな?」
「え?」
「じゃあ俺はもう帰るから」
そう言って僚は机の横に掛けてあった鞄を取ると、椅子から立ち上がる。
「また暇だったら遊びに来てよ」と言い残して僚はそのまま教室を後にした。
「…何なんだよ」
一騎は思わずぽつりと呟いて、僚の消えたドアの方を見る。
すると、間もなく違う足音が聞こえてきて、ガラリとまたドアが開いた。
「そーし」
「ごめん、待たせた」
「あ、いや」
「僚先輩に残りの仕事全部頼まれてさ」
「え?」
「どうかしたか?」
「いや、ついさっきまであの人暇そうにしてたよ、ここで」
「…あー」
「?」
「なんかやたらと一騎の事聞いてくるなと思ったら」
「俺?」
「なんか言われたか?」
「え?いや、別に」
「ならいいけど」
と言ってなんだかほっとしているような総士を横目に、
そういえばかわいいって一杯言われたけどなんとなくそれは言わないほうがいいかなと一騎は思って、
バッグを取ると椅子から立ち上がった。
「久しぶり」
一騎は総士を迎えに生徒会室に向かい、勢いよくドアを開けた途端、
中にいた人物が総士ではなくてなんだか驚いて固まってしまった。
「今ちょっと誰もいないんだけど、中入れば?」
と笑い掛けた相手に一騎は反射的に頷いてしまって、そのまま教室へと足を踏み入れると静かにドアを閉める。
ぽんぽん、と机を叩いて向かいへ座れとでも言いたそうにこちらを見つめる視線に、
変に焦りのような気持ちが沸き上がって椅子を引くとそのまま一騎は座った。
「暑っついよねぇ」
何を話されるのかと身構えた一騎に、目の前の相手、将陵僚はぼけっと窓の外を眺めると、
肘をついていた腕で長い前髪をかき揚げる。
日に焼けていない白い肌に、太陽に照らされた黒髪がキラキラと映えて、
なんだか自分とは次元の違う人のように感じてしまう。
たった1年違うだけなのに、というかあと1年経ったら自分もこんな風に大人っぽくなれるのかなぁと、
僚の左腕の腕時計を見ながら一騎はぼうっと考えた。
教室にある大きな時計とか開けたら表示される携帯の時計とは違って、
きっちりはめられた腕時計を見ていると、なんだかその人だけの時間を持っているような感じがして、
それが何となく大人だよなぁと、まぁ生徒会長だから仕方ないのかもしれないけど、
と一騎は目の前の僚の顔を見つめては、ばっちりと目が合ってしまって恥ずかしくなって目を逸らした。
「告白でもされるのかと思った」
「…は?」
クスクスと笑いながら呟いた僚に一騎は「違います…ってば」と返すと、
僚はまたこちらを見ながらクスクスと笑う。
「真壁ってさ、普通に見ればかっこいいんだけどさ、なんか…かわいいよな」
「…どういう、意味ですか?」
「そのまんま」
そう言って僚は重ねた両手の上に顔を乗せると、一騎を下から覗き込む。
やたら遊ばれてる気分がして一騎はどうしていいかわからなかったのだが、
ずっと見られていると思うと嫌でも顔が熱くなってくるような気がして思わず目が合わないように下を向いた。
「ごめん、かわいいからついからかいたくなっちゃった」
「か、かわいいって」
「うん、だから、ごめん」
顔上げてよ、と僚に言われておそるおそる一騎は顔を上げると、
さっきまでとは違って柔らかい表情を浮かべた僚の顔があった。
「傷は良くなった?」
「あ、はい、まだ完治とまではいかないですけど」
「そっか、なんか心配してたんだ」
「え?」
「皆城がさ、やたら最近不安定だったから」
「総士が?」
「あいつがそんななるなんて、たぶん真壁の事なんだろうなって」
「…俺、ですか?」
「仲良すぎだし、お前ら」
そう言って悪戯っぽく笑った僚に一騎はまた何も返せなくなって下を向く。
「でもなんか、皆城の気持ちも解るかも」
と続けた僚に、一騎は目線だけちらりと上を向くと、僚は笑って「だってなんかかわいいし」とまた言った。
「何で…」
と一騎はまたも下を向いて、やたら上機嫌で話しかけてくる僚に何を言ったらいいものかと困っていると、
僚が口を開いた。
「もう少し、あと1分くらいかな?」
「え?」
「じゃあ俺はもう帰るから」
そう言って僚は机の横に掛けてあった鞄を取ると、椅子から立ち上がる。
「また暇だったら遊びに来てよ」と言い残して僚はそのまま教室を後にした。
「…何なんだよ」
一騎は思わずぽつりと呟いて、僚の消えたドアの方を見る。
すると、間もなく違う足音が聞こえてきて、ガラリとまたドアが開いた。
「そーし」
「ごめん、待たせた」
「あ、いや」
「僚先輩に残りの仕事全部頼まれてさ」
「え?」
「どうかしたか?」
「いや、ついさっきまであの人暇そうにしてたよ、ここで」
「…あー」
「?」
「なんかやたらと一騎の事聞いてくるなと思ったら」
「俺?」
「なんか言われたか?」
「え?いや、別に」
「ならいいけど」
と言ってなんだかほっとしているような総士を横目に、
そういえばかわいいって一杯言われたけどなんとなくそれは言わないほうがいいかなと一騎は思って、
バッグを取ると椅子から立ち上がった。
君と僕とあの夏の日と12
2011.11.20 Sunday
「そーし、朝ごはん出来たよ」
リビングの方から一騎に声が聞こえて総士が部屋から出ると、
テーブルの上には出来立ての朝ご飯が並んでいる。
一騎はというと、どこから見つけたのか制服の上にエプロンをして、
二人分のお味噌汁をお椀によそっているところだった。
ばたばたと席に着いてしまったものの、あのお椀二つくらい持ってきた方がよかっただろうかと
なんだか落ち着かなくてじっと一騎の方を見つめてしまっていたのか、
視線に気づいた一騎と目が合ってしまって、総士はなんだかやけに気恥ずかしくなってしまう。
そうしているうちにお椀を持った一騎も席に座り、「いただきます」と妙に揃った声で、
二人は朝ご飯を食べ始めた。
あの事件の後から、一騎は総士の家に泊まるようになった。
本人の希望もあって、父親には「勉強を教える」といういかにも学生めいた言い分を伝えて。
来たばかりの日はお互い気が動転していて、特に一騎はほとんど眠ったまま、丸一日ろくに会話もしなかった。
が、一日経ってからの一騎は何事もなかったかのようにてきぱきと総士の家を動き回り、
なんて人間的じゃない生活を送ってたんだ、と呆れながら流れるように家事をこなしていった。
なんだかその手際の良さに面食らってしまって総士は始終ぼんやりと一騎の行動を見つめていたが、
あえて気遣う言葉を掛けることはしなかった。
深く抉られた傷がすぐに治るだなんて思わない。
けれど、最初から手を差し伸べてほしいとは一騎は思わないはずだ。
苦しくてもたぶん一人で耐える、でも、どうしても耐えられなくなった時には一緒にいてやればいい。
そのサインはきっと、今の自分になら見つけられるはずだと総士は思う。
「もしかして、甘いのがよかったか?」
「え?」
「なんかずっと、黙ったままだったから」
そう言ってなんだか寂しげな顔をした一騎に総士ははっとする。
いただきます、とは言ったものの、何年振りだかわからない朝食に
しかも自分以外の人間がいるだなんてなんだかにわかにこの状況が理解出来なくなって、
何も話すことなく食べ始めてしまった。
手元には、半分に割った出汁巻き卵の切れ端。
そういや、これ一騎が作ったんだったよな、とその味と形の良さに改めて感心してしまう。
あんまりにも普通に美味しいものだから、なんだか普通に食べ進めてしまったと総士は内心ちょっぴり反省する。
「口に、合わなかったらごめん」
と、またも眉を下げて言う一騎に「そんなことないって…ただ」と総士は慌てて口を開いた。
「ただ?」
「久し振りすぎて、ぼーっとしてた」
総士が本当のことを言うと、「不健康すぎ」と言って一騎はくすくすと笑う。
「僕じゃ、こんなに美味しいのは作れないからさ」
「え?」
「ありがとな、一騎」
まっすぐ見つめたまま総士がにこりと笑うと、一騎は一瞬固まってすぐにちょっと横を向くと、
「…これからは、毎日作ってやるから」とぼそりと呟いた。
「楽しみにしてる」
「ちゃんと、健康ってものを考えろよな」
「お前もな」
「…うるさいよ、総士」
リビングの方から一騎に声が聞こえて総士が部屋から出ると、
テーブルの上には出来立ての朝ご飯が並んでいる。
一騎はというと、どこから見つけたのか制服の上にエプロンをして、
二人分のお味噌汁をお椀によそっているところだった。
ばたばたと席に着いてしまったものの、あのお椀二つくらい持ってきた方がよかっただろうかと
なんだか落ち着かなくてじっと一騎の方を見つめてしまっていたのか、
視線に気づいた一騎と目が合ってしまって、総士はなんだかやけに気恥ずかしくなってしまう。
そうしているうちにお椀を持った一騎も席に座り、「いただきます」と妙に揃った声で、
二人は朝ご飯を食べ始めた。
あの事件の後から、一騎は総士の家に泊まるようになった。
本人の希望もあって、父親には「勉強を教える」といういかにも学生めいた言い分を伝えて。
来たばかりの日はお互い気が動転していて、特に一騎はほとんど眠ったまま、丸一日ろくに会話もしなかった。
が、一日経ってからの一騎は何事もなかったかのようにてきぱきと総士の家を動き回り、
なんて人間的じゃない生活を送ってたんだ、と呆れながら流れるように家事をこなしていった。
なんだかその手際の良さに面食らってしまって総士は始終ぼんやりと一騎の行動を見つめていたが、
あえて気遣う言葉を掛けることはしなかった。
深く抉られた傷がすぐに治るだなんて思わない。
けれど、最初から手を差し伸べてほしいとは一騎は思わないはずだ。
苦しくてもたぶん一人で耐える、でも、どうしても耐えられなくなった時には一緒にいてやればいい。
そのサインはきっと、今の自分になら見つけられるはずだと総士は思う。
「もしかして、甘いのがよかったか?」
「え?」
「なんかずっと、黙ったままだったから」
そう言ってなんだか寂しげな顔をした一騎に総士ははっとする。
いただきます、とは言ったものの、何年振りだかわからない朝食に
しかも自分以外の人間がいるだなんてなんだかにわかにこの状況が理解出来なくなって、
何も話すことなく食べ始めてしまった。
手元には、半分に割った出汁巻き卵の切れ端。
そういや、これ一騎が作ったんだったよな、とその味と形の良さに改めて感心してしまう。
あんまりにも普通に美味しいものだから、なんだか普通に食べ進めてしまったと総士は内心ちょっぴり反省する。
「口に、合わなかったらごめん」
と、またも眉を下げて言う一騎に「そんなことないって…ただ」と総士は慌てて口を開いた。
「ただ?」
「久し振りすぎて、ぼーっとしてた」
総士が本当のことを言うと、「不健康すぎ」と言って一騎はくすくすと笑う。
「僕じゃ、こんなに美味しいのは作れないからさ」
「え?」
「ありがとな、一騎」
まっすぐ見つめたまま総士がにこりと笑うと、一騎は一瞬固まってすぐにちょっと横を向くと、
「…これからは、毎日作ってやるから」とぼそりと呟いた。
「楽しみにしてる」
「ちゃんと、健康ってものを考えろよな」
「お前もな」
「…うるさいよ、総士」