蒼穹のファフナー文章(ときどき絵)サイト
[PR]
2024.11.22 Friday
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
君と僕とあの夏の日と15
2011.11.20 Sunday
次の日も、前日とそう変わらない土砂降りの雨だった。
総士は残っていた生徒会の仕事を手短に片づけると待ち合わせの場所へと急ぐ。
今日は、約二週間振りに一騎が部活を見学する予定なのだが、なんとなく一緒に行こうと思った。
昨日半ば有無を言わさぬ形で決めてしまったのだが、一騎は特に嫌そうな気配も見せず普通に頷いた。
総士は階段を下りると、体育館へと続く渡り廊下の手前に立ち止まって辺りを見渡す。
午後もかなりの時間が過ぎた校内は廊下を行き来する生徒の数もまばらで、
雨の所為で低く垂れこめた雲が光を遮ってはどんよりと暗い空気を充満させている。
そんな雰囲気を遮るように総士は額に掛った前髪を手で払うと、腕時計に目をやった。
丁度、約束の時間だった。
総士は再度顔を上げるとまた辺りをぐるりと見渡す。
けれどさっきまでいた数人の生徒すらもうどこかへ消えていて、辺りには誰一人居なかった。
なんだかその空気に嫌な感覚が呼び起こされるような気がして、総士は携帯を出す。
「今、どこにいるんだ?」
要件だけ書いたメールを手早く送信すると、総士は歩き始めた。
一騎のいそうな場所なんてそうそうここには無いと思う。
でも総士に何も言わず校外に出ていくような事はしないだろうとも思う。
何だか変に真面目な所が一騎には昔からあるからだ。
メールが返信されてくる気配は無い。
どうせバッグの中に入れたままなんだろうな、と苦笑する。
そんなことを思いながら階段を上って二階まで来ると、総士は一番手前の教室のドアにそっと手を掛けた。
「一騎」
ガラ、と小さな音を立ててドアが開くと、机の上に突っ伏したまま動かない一騎の姿があった。
びく、と肩が動いてゆっくりと顔が上に向けられる。
片目だけの視界を遮るように掛った前髪を掻き揚げると、一騎はすぅっと目を細めて総士を見た。
「そー…し」
僅かに口から漏れ出た自分の名前に、総士はほっとしたように笑みを浮かべて一騎の元へと歩み寄る。
前の席の椅子に座ろうとした瞬間、ごめん、と小さく聞こえたような気がした。
「寝てたのか?」
責めるつもりなど微塵もなかったので、総士はなるべく優しく問いかけると、一騎はふるふると首を横に振る。
何か言うのだろうかと少し待ったが俯き加減のまま一騎は何も喋らなかった。
「…どうした?」
「…ごめん」
再度謝罪の言葉を口にした一騎に総士が口を開きかけると、やっぱり行けない、とだけ一騎は言った。
開きかけた口を一旦閉じて総士は一騎を見ると、そっと机の上で握りしめられた手の上に自分の手を重ねる。
強く力が籠り過ぎているのを少しでも和らげるようにゆっくりと拳を覆って少しだけ力を入れた。
その様子に一騎が総士の方を見る。
解っていたかのように総士は一騎の視線を受け止めて微笑むと、一騎は困ったような顔をして唇を噛んだ。
「言わなくていいよ」
総士はそれだけ言うと、また一騎に視線を戻す。
え?と声には出さずに口を開けた一騎を見て総士は続ける。
「理由が聞きたいわけじゃないし、無理矢理行かせようとも思わない」
ただ、ね、と言って総士は一旦言葉を切る。
一騎はじっと総士を見つめたままだったが、まだ困惑のような不安のような表情をしていることだけは確かで。
総士は一騎の手をやんわり握りしめる。
「一騎が、行きたいって思ってくれるようになったいいなとは思ってるから」
総士が微笑むと一騎ははっとしたような表情を浮かべてはすぐに俯いてしまう。
特に深追いとして何か言葉を掛けることもなく総士はただそのまま一騎を見守る。
窓の外は相変わらず土砂降りの雨で、まだ午後の3時だというのに
心なしかさっきよりも暗くなったような気がする。
総士はひとつ深く呼吸をすると、まだ俯いたままの一騎に「帰ろう」とだけ言った。
一騎は少しだけ顔を上げて頷く動作をする。
「傘、持ってきたか?」
まさかと思って尋ねたが、またもふるふると首を横に振った一騎を見て総士は今度こそ本当に苦笑した。
総士は残っていた生徒会の仕事を手短に片づけると待ち合わせの場所へと急ぐ。
今日は、約二週間振りに一騎が部活を見学する予定なのだが、なんとなく一緒に行こうと思った。
昨日半ば有無を言わさぬ形で決めてしまったのだが、一騎は特に嫌そうな気配も見せず普通に頷いた。
総士は階段を下りると、体育館へと続く渡り廊下の手前に立ち止まって辺りを見渡す。
午後もかなりの時間が過ぎた校内は廊下を行き来する生徒の数もまばらで、
雨の所為で低く垂れこめた雲が光を遮ってはどんよりと暗い空気を充満させている。
そんな雰囲気を遮るように総士は額に掛った前髪を手で払うと、腕時計に目をやった。
丁度、約束の時間だった。
総士は再度顔を上げるとまた辺りをぐるりと見渡す。
けれどさっきまでいた数人の生徒すらもうどこかへ消えていて、辺りには誰一人居なかった。
なんだかその空気に嫌な感覚が呼び起こされるような気がして、総士は携帯を出す。
「今、どこにいるんだ?」
要件だけ書いたメールを手早く送信すると、総士は歩き始めた。
一騎のいそうな場所なんてそうそうここには無いと思う。
でも総士に何も言わず校外に出ていくような事はしないだろうとも思う。
何だか変に真面目な所が一騎には昔からあるからだ。
メールが返信されてくる気配は無い。
どうせバッグの中に入れたままなんだろうな、と苦笑する。
そんなことを思いながら階段を上って二階まで来ると、総士は一番手前の教室のドアにそっと手を掛けた。
「一騎」
ガラ、と小さな音を立ててドアが開くと、机の上に突っ伏したまま動かない一騎の姿があった。
びく、と肩が動いてゆっくりと顔が上に向けられる。
片目だけの視界を遮るように掛った前髪を掻き揚げると、一騎はすぅっと目を細めて総士を見た。
「そー…し」
僅かに口から漏れ出た自分の名前に、総士はほっとしたように笑みを浮かべて一騎の元へと歩み寄る。
前の席の椅子に座ろうとした瞬間、ごめん、と小さく聞こえたような気がした。
「寝てたのか?」
責めるつもりなど微塵もなかったので、総士はなるべく優しく問いかけると、一騎はふるふると首を横に振る。
何か言うのだろうかと少し待ったが俯き加減のまま一騎は何も喋らなかった。
「…どうした?」
「…ごめん」
再度謝罪の言葉を口にした一騎に総士が口を開きかけると、やっぱり行けない、とだけ一騎は言った。
開きかけた口を一旦閉じて総士は一騎を見ると、そっと机の上で握りしめられた手の上に自分の手を重ねる。
強く力が籠り過ぎているのを少しでも和らげるようにゆっくりと拳を覆って少しだけ力を入れた。
その様子に一騎が総士の方を見る。
解っていたかのように総士は一騎の視線を受け止めて微笑むと、一騎は困ったような顔をして唇を噛んだ。
「言わなくていいよ」
総士はそれだけ言うと、また一騎に視線を戻す。
え?と声には出さずに口を開けた一騎を見て総士は続ける。
「理由が聞きたいわけじゃないし、無理矢理行かせようとも思わない」
ただ、ね、と言って総士は一旦言葉を切る。
一騎はじっと総士を見つめたままだったが、まだ困惑のような不安のような表情をしていることだけは確かで。
総士は一騎の手をやんわり握りしめる。
「一騎が、行きたいって思ってくれるようになったいいなとは思ってるから」
総士が微笑むと一騎ははっとしたような表情を浮かべてはすぐに俯いてしまう。
特に深追いとして何か言葉を掛けることもなく総士はただそのまま一騎を見守る。
窓の外は相変わらず土砂降りの雨で、まだ午後の3時だというのに
心なしかさっきよりも暗くなったような気がする。
総士はひとつ深く呼吸をすると、まだ俯いたままの一騎に「帰ろう」とだけ言った。
一騎は少しだけ顔を上げて頷く動作をする。
「傘、持ってきたか?」
まさかと思って尋ねたが、またもふるふると首を横に振った一騎を見て総士は今度こそ本当に苦笑した。
PR
君と僕とあの夏の日と14
2011.11.20 Sunday
その日の夜は、どしゃ降りの雨になった。
一騎は窓越しに雲に覆われた夜空を見上げてはため息を吐く。
窓の外側を滴り落ちる雨粒に指を這わせては、今日じゃなければよかったのにと呟いた。
それもそのはず、今日は年に一回開催される花火大会の日だった。
近くの海岸で行われるそれは、付近の住民はおろか隣県からも見物客が訪れるほどには大きな花火大会で、
一騎達も小さい頃から毎年行っている。
漆黒の夜空に打ち上げられる大玉の花火はとても綺麗で、夏の始まりを告げるに相応しいものだった。
と、ぼんやり思っていると、ぽんと頭に軽い感触がして一騎は振り返る。
そこには、なんだか困ったような微笑をたたえた総士が立っていて、一騎も思わず困ったように笑った。
「来週に延期だって」
「…そっか」
「さっき濡れただろ、包帯取り替えるからこっち座って」
総士は言って、一騎をリビングのソファーに座らせる。
すでに用意されていた救急箱を見ては、なんかこれにお世話になるのも慣れたよなと
一騎はなんともいえない微妙な気持ちでまた見つめる。
その間にも手際良く総士は包帯をくるくると外して、とりあえず濡れていた髪にバスタオルを被せて拭き始めた。
「…ねぇ、総士」
「ん?」
被せられたバスタオルの中で呟いた自分の声は、なんだか余りにも情けない籠った音に聞こえて、
一騎ははっとして、やっぱなんでもない、とだけ返す。
ひとつひとつの呼吸音すら大げさに聞こえるような気がして居心地が悪い。
一騎が思わず両手をぎゅっと握りしめた瞬間、まるでそれを察知したかのようにタオルは取り除かれて、
代わりに開けた明るい視界の中に総士が映って、なんだかとても安心する。
「ごめんな」
そう言って、総士はそっと一騎の右目を覆うガーゼに手を伸ばす。
外すのが痛いかもしれないからと謝ったのだろうけれど、もうあと数日で抜糸になるだけの傷は殆ど塞がって、
痛みなんて感じる筈もないのに、ガーゼが外れる瞬間にはなぜか顔を顰めてしまった。
「ごめん」
もう一度総士は申し訳なさそうに言った。
痛くなんてなかったのに。
心配されたいだけなのかな、なんて一騎は思って顔を上げられずにいると、ひた、と左頬に手を添えられて、
消毒液を浸した冷たいガーゼが右目にそっと触れた。
縫合痕に沿って押しあてられるそれに、はっきりと見たことはないけれど自分の傷の大きさとか形を再確認
するような感覚がする。
やがてガーゼが外されると、次は化膿止めの軟膏が塗布される筈で、あの匂いと油っぽい軟膏特有の感触が
一騎は苦手で仕方なかった。
総士は何も言わずに、人差し指につけた薬をそっと一騎の右目に塗り始める。
くすぐったくて気持ち悪くて、目を普通に閉じていることがなんだかとても難しい。
「くすぐったいよ」
思わず口にすると、総士は苦笑いをしたような雰囲気で、もう終わるからとだけ告げた。
言い終わらない内に新しいガーゼが目を覆って、テープでしっかりと固定される。
ふと、手が止まった気がして一騎は総士を見ると、
「ちゃんと治りそうだな」
と言って総士はふんわり笑った。
一騎は思わず右目のガーゼに触れるとまた総士を見つめた。
「…あ」
言いかけようと口を開いて、でも止めてしまった。
どうした?と総士は首を傾げていたが、一騎は俯いてしまう。
「痛むのか?」
心配そうな声色で聞いてくる総士に、一騎はぶんぶんと首を振る。
最初は戸惑うばかりだった片目だけの視界にもいつしか慣れてきて、それが普通になって、
ずっと前からこんな風に世界が見えていた総士との期間限定の共通点だとはわかっていたつもりなのに、
それがなくなるというのが、急に怖いように思えてきてしまったのだ。
総士がそんなことを望まないのは痛いほどわかっているつもりだけれど、このままいられるなら、
このままでもいいんじゃないかと、そんな風に思えてしまう自分がいるのを否定は出来なかった。
すると、目の前にいた筈の総士がいつのまにか立ちあがって一騎の横に座る。
そして一騎の肩に腕を回すと、ぎゅと力を込めて引き寄せた。
「来週、一緒に練習見に行こう、ずっと行ってなかっただろ?」
一騎がそろりと見上げると、総士はまた優しく笑う。
「大丈夫だから」
そう言って総士は、一騎のおでこにこつんと自分のおでこをぶつけた。
そしてちょっとだけ、腕の力を強くする。
まだ事あるごとに悟られないように小刻みに震える身体に、気付いていない訳ではなかった。
一騎は窓越しに雲に覆われた夜空を見上げてはため息を吐く。
窓の外側を滴り落ちる雨粒に指を這わせては、今日じゃなければよかったのにと呟いた。
それもそのはず、今日は年に一回開催される花火大会の日だった。
近くの海岸で行われるそれは、付近の住民はおろか隣県からも見物客が訪れるほどには大きな花火大会で、
一騎達も小さい頃から毎年行っている。
漆黒の夜空に打ち上げられる大玉の花火はとても綺麗で、夏の始まりを告げるに相応しいものだった。
と、ぼんやり思っていると、ぽんと頭に軽い感触がして一騎は振り返る。
そこには、なんだか困ったような微笑をたたえた総士が立っていて、一騎も思わず困ったように笑った。
「来週に延期だって」
「…そっか」
「さっき濡れただろ、包帯取り替えるからこっち座って」
総士は言って、一騎をリビングのソファーに座らせる。
すでに用意されていた救急箱を見ては、なんかこれにお世話になるのも慣れたよなと
一騎はなんともいえない微妙な気持ちでまた見つめる。
その間にも手際良く総士は包帯をくるくると外して、とりあえず濡れていた髪にバスタオルを被せて拭き始めた。
「…ねぇ、総士」
「ん?」
被せられたバスタオルの中で呟いた自分の声は、なんだか余りにも情けない籠った音に聞こえて、
一騎ははっとして、やっぱなんでもない、とだけ返す。
ひとつひとつの呼吸音すら大げさに聞こえるような気がして居心地が悪い。
一騎が思わず両手をぎゅっと握りしめた瞬間、まるでそれを察知したかのようにタオルは取り除かれて、
代わりに開けた明るい視界の中に総士が映って、なんだかとても安心する。
「ごめんな」
そう言って、総士はそっと一騎の右目を覆うガーゼに手を伸ばす。
外すのが痛いかもしれないからと謝ったのだろうけれど、もうあと数日で抜糸になるだけの傷は殆ど塞がって、
痛みなんて感じる筈もないのに、ガーゼが外れる瞬間にはなぜか顔を顰めてしまった。
「ごめん」
もう一度総士は申し訳なさそうに言った。
痛くなんてなかったのに。
心配されたいだけなのかな、なんて一騎は思って顔を上げられずにいると、ひた、と左頬に手を添えられて、
消毒液を浸した冷たいガーゼが右目にそっと触れた。
縫合痕に沿って押しあてられるそれに、はっきりと見たことはないけれど自分の傷の大きさとか形を再確認
するような感覚がする。
やがてガーゼが外されると、次は化膿止めの軟膏が塗布される筈で、あの匂いと油っぽい軟膏特有の感触が
一騎は苦手で仕方なかった。
総士は何も言わずに、人差し指につけた薬をそっと一騎の右目に塗り始める。
くすぐったくて気持ち悪くて、目を普通に閉じていることがなんだかとても難しい。
「くすぐったいよ」
思わず口にすると、総士は苦笑いをしたような雰囲気で、もう終わるからとだけ告げた。
言い終わらない内に新しいガーゼが目を覆って、テープでしっかりと固定される。
ふと、手が止まった気がして一騎は総士を見ると、
「ちゃんと治りそうだな」
と言って総士はふんわり笑った。
一騎は思わず右目のガーゼに触れるとまた総士を見つめた。
「…あ」
言いかけようと口を開いて、でも止めてしまった。
どうした?と総士は首を傾げていたが、一騎は俯いてしまう。
「痛むのか?」
心配そうな声色で聞いてくる総士に、一騎はぶんぶんと首を振る。
最初は戸惑うばかりだった片目だけの視界にもいつしか慣れてきて、それが普通になって、
ずっと前からこんな風に世界が見えていた総士との期間限定の共通点だとはわかっていたつもりなのに、
それがなくなるというのが、急に怖いように思えてきてしまったのだ。
総士がそんなことを望まないのは痛いほどわかっているつもりだけれど、このままいられるなら、
このままでもいいんじゃないかと、そんな風に思えてしまう自分がいるのを否定は出来なかった。
すると、目の前にいた筈の総士がいつのまにか立ちあがって一騎の横に座る。
そして一騎の肩に腕を回すと、ぎゅと力を込めて引き寄せた。
「来週、一緒に練習見に行こう、ずっと行ってなかっただろ?」
一騎がそろりと見上げると、総士はまた優しく笑う。
「大丈夫だから」
そう言って総士は、一騎のおでこにこつんと自分のおでこをぶつけた。
そしてちょっとだけ、腕の力を強くする。
まだ事あるごとに悟られないように小刻みに震える身体に、気付いていない訳ではなかった。
君と僕とあの夏の日と13
2011.11.20 Sunday
「あ」
「久しぶり」
一騎は総士を迎えに生徒会室に向かい、勢いよくドアを開けた途端、
中にいた人物が総士ではなくてなんだか驚いて固まってしまった。
「今ちょっと誰もいないんだけど、中入れば?」
と笑い掛けた相手に一騎は反射的に頷いてしまって、そのまま教室へと足を踏み入れると静かにドアを閉める。
ぽんぽん、と机を叩いて向かいへ座れとでも言いたそうにこちらを見つめる視線に、
変に焦りのような気持ちが沸き上がって椅子を引くとそのまま一騎は座った。
「暑っついよねぇ」
何を話されるのかと身構えた一騎に、目の前の相手、将陵僚はぼけっと窓の外を眺めると、
肘をついていた腕で長い前髪をかき揚げる。
日に焼けていない白い肌に、太陽に照らされた黒髪がキラキラと映えて、
なんだか自分とは次元の違う人のように感じてしまう。
たった1年違うだけなのに、というかあと1年経ったら自分もこんな風に大人っぽくなれるのかなぁと、
僚の左腕の腕時計を見ながら一騎はぼうっと考えた。
教室にある大きな時計とか開けたら表示される携帯の時計とは違って、
きっちりはめられた腕時計を見ていると、なんだかその人だけの時間を持っているような感じがして、
それが何となく大人だよなぁと、まぁ生徒会長だから仕方ないのかもしれないけど、
と一騎は目の前の僚の顔を見つめては、ばっちりと目が合ってしまって恥ずかしくなって目を逸らした。
「告白でもされるのかと思った」
「…は?」
クスクスと笑いながら呟いた僚に一騎は「違います…ってば」と返すと、
僚はまたこちらを見ながらクスクスと笑う。
「真壁ってさ、普通に見ればかっこいいんだけどさ、なんか…かわいいよな」
「…どういう、意味ですか?」
「そのまんま」
そう言って僚は重ねた両手の上に顔を乗せると、一騎を下から覗き込む。
やたら遊ばれてる気分がして一騎はどうしていいかわからなかったのだが、
ずっと見られていると思うと嫌でも顔が熱くなってくるような気がして思わず目が合わないように下を向いた。
「ごめん、かわいいからついからかいたくなっちゃった」
「か、かわいいって」
「うん、だから、ごめん」
顔上げてよ、と僚に言われておそるおそる一騎は顔を上げると、
さっきまでとは違って柔らかい表情を浮かべた僚の顔があった。
「傷は良くなった?」
「あ、はい、まだ完治とまではいかないですけど」
「そっか、なんか心配してたんだ」
「え?」
「皆城がさ、やたら最近不安定だったから」
「総士が?」
「あいつがそんななるなんて、たぶん真壁の事なんだろうなって」
「…俺、ですか?」
「仲良すぎだし、お前ら」
そう言って悪戯っぽく笑った僚に一騎はまた何も返せなくなって下を向く。
「でもなんか、皆城の気持ちも解るかも」
と続けた僚に、一騎は目線だけちらりと上を向くと、僚は笑って「だってなんかかわいいし」とまた言った。
「何で…」
と一騎はまたも下を向いて、やたら上機嫌で話しかけてくる僚に何を言ったらいいものかと困っていると、
僚が口を開いた。
「もう少し、あと1分くらいかな?」
「え?」
「じゃあ俺はもう帰るから」
そう言って僚は机の横に掛けてあった鞄を取ると、椅子から立ち上がる。
「また暇だったら遊びに来てよ」と言い残して僚はそのまま教室を後にした。
「…何なんだよ」
一騎は思わずぽつりと呟いて、僚の消えたドアの方を見る。
すると、間もなく違う足音が聞こえてきて、ガラリとまたドアが開いた。
「そーし」
「ごめん、待たせた」
「あ、いや」
「僚先輩に残りの仕事全部頼まれてさ」
「え?」
「どうかしたか?」
「いや、ついさっきまであの人暇そうにしてたよ、ここで」
「…あー」
「?」
「なんかやたらと一騎の事聞いてくるなと思ったら」
「俺?」
「なんか言われたか?」
「え?いや、別に」
「ならいいけど」
と言ってなんだかほっとしているような総士を横目に、
そういえばかわいいって一杯言われたけどなんとなくそれは言わないほうがいいかなと一騎は思って、
バッグを取ると椅子から立ち上がった。
「久しぶり」
一騎は総士を迎えに生徒会室に向かい、勢いよくドアを開けた途端、
中にいた人物が総士ではなくてなんだか驚いて固まってしまった。
「今ちょっと誰もいないんだけど、中入れば?」
と笑い掛けた相手に一騎は反射的に頷いてしまって、そのまま教室へと足を踏み入れると静かにドアを閉める。
ぽんぽん、と机を叩いて向かいへ座れとでも言いたそうにこちらを見つめる視線に、
変に焦りのような気持ちが沸き上がって椅子を引くとそのまま一騎は座った。
「暑っついよねぇ」
何を話されるのかと身構えた一騎に、目の前の相手、将陵僚はぼけっと窓の外を眺めると、
肘をついていた腕で長い前髪をかき揚げる。
日に焼けていない白い肌に、太陽に照らされた黒髪がキラキラと映えて、
なんだか自分とは次元の違う人のように感じてしまう。
たった1年違うだけなのに、というかあと1年経ったら自分もこんな風に大人っぽくなれるのかなぁと、
僚の左腕の腕時計を見ながら一騎はぼうっと考えた。
教室にある大きな時計とか開けたら表示される携帯の時計とは違って、
きっちりはめられた腕時計を見ていると、なんだかその人だけの時間を持っているような感じがして、
それが何となく大人だよなぁと、まぁ生徒会長だから仕方ないのかもしれないけど、
と一騎は目の前の僚の顔を見つめては、ばっちりと目が合ってしまって恥ずかしくなって目を逸らした。
「告白でもされるのかと思った」
「…は?」
クスクスと笑いながら呟いた僚に一騎は「違います…ってば」と返すと、
僚はまたこちらを見ながらクスクスと笑う。
「真壁ってさ、普通に見ればかっこいいんだけどさ、なんか…かわいいよな」
「…どういう、意味ですか?」
「そのまんま」
そう言って僚は重ねた両手の上に顔を乗せると、一騎を下から覗き込む。
やたら遊ばれてる気分がして一騎はどうしていいかわからなかったのだが、
ずっと見られていると思うと嫌でも顔が熱くなってくるような気がして思わず目が合わないように下を向いた。
「ごめん、かわいいからついからかいたくなっちゃった」
「か、かわいいって」
「うん、だから、ごめん」
顔上げてよ、と僚に言われておそるおそる一騎は顔を上げると、
さっきまでとは違って柔らかい表情を浮かべた僚の顔があった。
「傷は良くなった?」
「あ、はい、まだ完治とまではいかないですけど」
「そっか、なんか心配してたんだ」
「え?」
「皆城がさ、やたら最近不安定だったから」
「総士が?」
「あいつがそんななるなんて、たぶん真壁の事なんだろうなって」
「…俺、ですか?」
「仲良すぎだし、お前ら」
そう言って悪戯っぽく笑った僚に一騎はまた何も返せなくなって下を向く。
「でもなんか、皆城の気持ちも解るかも」
と続けた僚に、一騎は目線だけちらりと上を向くと、僚は笑って「だってなんかかわいいし」とまた言った。
「何で…」
と一騎はまたも下を向いて、やたら上機嫌で話しかけてくる僚に何を言ったらいいものかと困っていると、
僚が口を開いた。
「もう少し、あと1分くらいかな?」
「え?」
「じゃあ俺はもう帰るから」
そう言って僚は机の横に掛けてあった鞄を取ると、椅子から立ち上がる。
「また暇だったら遊びに来てよ」と言い残して僚はそのまま教室を後にした。
「…何なんだよ」
一騎は思わずぽつりと呟いて、僚の消えたドアの方を見る。
すると、間もなく違う足音が聞こえてきて、ガラリとまたドアが開いた。
「そーし」
「ごめん、待たせた」
「あ、いや」
「僚先輩に残りの仕事全部頼まれてさ」
「え?」
「どうかしたか?」
「いや、ついさっきまであの人暇そうにしてたよ、ここで」
「…あー」
「?」
「なんかやたらと一騎の事聞いてくるなと思ったら」
「俺?」
「なんか言われたか?」
「え?いや、別に」
「ならいいけど」
と言ってなんだかほっとしているような総士を横目に、
そういえばかわいいって一杯言われたけどなんとなくそれは言わないほうがいいかなと一騎は思って、
バッグを取ると椅子から立ち上がった。
君と僕とあの夏の日と12
2011.11.20 Sunday
「そーし、朝ごはん出来たよ」
リビングの方から一騎に声が聞こえて総士が部屋から出ると、
テーブルの上には出来立ての朝ご飯が並んでいる。
一騎はというと、どこから見つけたのか制服の上にエプロンをして、
二人分のお味噌汁をお椀によそっているところだった。
ばたばたと席に着いてしまったものの、あのお椀二つくらい持ってきた方がよかっただろうかと
なんだか落ち着かなくてじっと一騎の方を見つめてしまっていたのか、
視線に気づいた一騎と目が合ってしまって、総士はなんだかやけに気恥ずかしくなってしまう。
そうしているうちにお椀を持った一騎も席に座り、「いただきます」と妙に揃った声で、
二人は朝ご飯を食べ始めた。
あの事件の後から、一騎は総士の家に泊まるようになった。
本人の希望もあって、父親には「勉強を教える」といういかにも学生めいた言い分を伝えて。
来たばかりの日はお互い気が動転していて、特に一騎はほとんど眠ったまま、丸一日ろくに会話もしなかった。
が、一日経ってからの一騎は何事もなかったかのようにてきぱきと総士の家を動き回り、
なんて人間的じゃない生活を送ってたんだ、と呆れながら流れるように家事をこなしていった。
なんだかその手際の良さに面食らってしまって総士は始終ぼんやりと一騎の行動を見つめていたが、
あえて気遣う言葉を掛けることはしなかった。
深く抉られた傷がすぐに治るだなんて思わない。
けれど、最初から手を差し伸べてほしいとは一騎は思わないはずだ。
苦しくてもたぶん一人で耐える、でも、どうしても耐えられなくなった時には一緒にいてやればいい。
そのサインはきっと、今の自分になら見つけられるはずだと総士は思う。
「もしかして、甘いのがよかったか?」
「え?」
「なんかずっと、黙ったままだったから」
そう言ってなんだか寂しげな顔をした一騎に総士ははっとする。
いただきます、とは言ったものの、何年振りだかわからない朝食に
しかも自分以外の人間がいるだなんてなんだかにわかにこの状況が理解出来なくなって、
何も話すことなく食べ始めてしまった。
手元には、半分に割った出汁巻き卵の切れ端。
そういや、これ一騎が作ったんだったよな、とその味と形の良さに改めて感心してしまう。
あんまりにも普通に美味しいものだから、なんだか普通に食べ進めてしまったと総士は内心ちょっぴり反省する。
「口に、合わなかったらごめん」
と、またも眉を下げて言う一騎に「そんなことないって…ただ」と総士は慌てて口を開いた。
「ただ?」
「久し振りすぎて、ぼーっとしてた」
総士が本当のことを言うと、「不健康すぎ」と言って一騎はくすくすと笑う。
「僕じゃ、こんなに美味しいのは作れないからさ」
「え?」
「ありがとな、一騎」
まっすぐ見つめたまま総士がにこりと笑うと、一騎は一瞬固まってすぐにちょっと横を向くと、
「…これからは、毎日作ってやるから」とぼそりと呟いた。
「楽しみにしてる」
「ちゃんと、健康ってものを考えろよな」
「お前もな」
「…うるさいよ、総士」
リビングの方から一騎に声が聞こえて総士が部屋から出ると、
テーブルの上には出来立ての朝ご飯が並んでいる。
一騎はというと、どこから見つけたのか制服の上にエプロンをして、
二人分のお味噌汁をお椀によそっているところだった。
ばたばたと席に着いてしまったものの、あのお椀二つくらい持ってきた方がよかっただろうかと
なんだか落ち着かなくてじっと一騎の方を見つめてしまっていたのか、
視線に気づいた一騎と目が合ってしまって、総士はなんだかやけに気恥ずかしくなってしまう。
そうしているうちにお椀を持った一騎も席に座り、「いただきます」と妙に揃った声で、
二人は朝ご飯を食べ始めた。
あの事件の後から、一騎は総士の家に泊まるようになった。
本人の希望もあって、父親には「勉強を教える」といういかにも学生めいた言い分を伝えて。
来たばかりの日はお互い気が動転していて、特に一騎はほとんど眠ったまま、丸一日ろくに会話もしなかった。
が、一日経ってからの一騎は何事もなかったかのようにてきぱきと総士の家を動き回り、
なんて人間的じゃない生活を送ってたんだ、と呆れながら流れるように家事をこなしていった。
なんだかその手際の良さに面食らってしまって総士は始終ぼんやりと一騎の行動を見つめていたが、
あえて気遣う言葉を掛けることはしなかった。
深く抉られた傷がすぐに治るだなんて思わない。
けれど、最初から手を差し伸べてほしいとは一騎は思わないはずだ。
苦しくてもたぶん一人で耐える、でも、どうしても耐えられなくなった時には一緒にいてやればいい。
そのサインはきっと、今の自分になら見つけられるはずだと総士は思う。
「もしかして、甘いのがよかったか?」
「え?」
「なんかずっと、黙ったままだったから」
そう言ってなんだか寂しげな顔をした一騎に総士ははっとする。
いただきます、とは言ったものの、何年振りだかわからない朝食に
しかも自分以外の人間がいるだなんてなんだかにわかにこの状況が理解出来なくなって、
何も話すことなく食べ始めてしまった。
手元には、半分に割った出汁巻き卵の切れ端。
そういや、これ一騎が作ったんだったよな、とその味と形の良さに改めて感心してしまう。
あんまりにも普通に美味しいものだから、なんだか普通に食べ進めてしまったと総士は内心ちょっぴり反省する。
「口に、合わなかったらごめん」
と、またも眉を下げて言う一騎に「そんなことないって…ただ」と総士は慌てて口を開いた。
「ただ?」
「久し振りすぎて、ぼーっとしてた」
総士が本当のことを言うと、「不健康すぎ」と言って一騎はくすくすと笑う。
「僕じゃ、こんなに美味しいのは作れないからさ」
「え?」
「ありがとな、一騎」
まっすぐ見つめたまま総士がにこりと笑うと、一騎は一瞬固まってすぐにちょっと横を向くと、
「…これからは、毎日作ってやるから」とぼそりと呟いた。
「楽しみにしてる」
「ちゃんと、健康ってものを考えろよな」
「お前もな」
「…うるさいよ、総士」
君と僕とあの夏の日と11
2011.11.20 Sunday
「一騎、気分は?」
総士が部屋に入ると、ちょうど一騎が目を覚ました所だった。
総士はベッドの側にしゃがむと力なく放り出された一騎の手を取る。
そのまま顔を覗き込めば、一騎は頼りなく表情を緩めて総士を見上げた。
ふと時計を見ればまだ夕方の6時で、過ぎた時間の短さとめまぐるしく起こった数々の出来事に、
総士はなんだか現実感を失ってしまいそうな気がして、思わず何度か瞬きを繰り返した。
総士が一騎の部屋に入って身動きの取れなかった一騎を見つけてから今まで3時間、
あの後、加害者である張本人の大学生は逃げるように家から出ていき、
追いかけたい気持ちは多々あったのだが、泣きながら震えの止まらない一騎を一人残しておくわけにもいかず、
総士はそのまま一騎を抱きしめ続けた。
しばらく経って一騎の身体の震えが収まってくると、総士は一騎の父親に事の経緯を伝えようとしたが、
「心配かけたくないから、言わないでほしい」と一騎に懇願されて押し掛けた携帯の通話ボタンから
そっと指を離す。
警察に言えば犯罪になるような行為に襲われていたというのに、と思うと総士はあの大学生が到底許せなくて、
何とか探し出して罪を償えと言いたい気持ちでいっぱいだったが、
「誰にも言わないで…俺なら、大丈夫だから」と必死に訴える一騎を前にすると何も言えなくなってしまった。
「わかった」と一言つぶやくと、安心したように一騎は少し笑って、そのまま意識を失った。
少しも大丈夫じゃなかったくせに、とぐったりした一騎の身体を抱きとめながら
総士は歯がゆい思いがこみ上げた。
そして一騎をベッドに横たえると総士は傷の手当をする、包帯を巻くついでにどうしても気になってしまって
「ごめん」と呟きながら一騎のシャツのボタンを外して上半身を露わにした。
おそるおそるその肌に目線を移したが、前日に総士が見た時から新しく増えた痣は見当たらなくて、
なんだか妙にほっとする。
身動きの取れない状況の中で一方的に暴力を振るわれたわけではなさそうだと、
それだけでも総士は救われる思いだった。
知っているつもりになって全く知ることの出来なかった幼なじみの身に起こっていた事。
長い間その心に刻み込まれた恐怖と絶望の記憶は薄れる事なんてあるのだろうか、と漠然と思ってしまう。
何か、支えてあげられる方法は見つけられるだろうかと不安な気持ちばかりが溢れそうになって、
総士は思わず俯いた。
そっと、外したボタンを元通りに掛け直す。
「ごめん」
総士はまた呟いて、その上に布団を掛けた。
「総士」
目を覚ました一騎が呟いて、総士はなるべく安心させるようにその手を両手で包みながら一騎を見る。
「来てくれて…ありがと」
「一騎」
「総士がいてくれて、ほんと…よかった」
そう言って一騎は総士の手を握り返した。
「あいつが出てってから、総士の声聞こえて、来てくれたんだって思ったけど、俺…」
「喋らなくて、いいから」
「俺、総士がいなかったら」
「一騎」
総士は一騎の声を無理矢理遮る。
今は、思い出さなくていいからと言葉にはしなかったが、
強くそう思って一騎の右目を覆う包帯にそっと触れると「痛くないか?」と小さく言った。
「ちょっと痛いけど、大丈夫」
と答えた一騎に優しく微笑みかける。
総士の笑顔につられて表情を緩めた一騎を見て総士は、うまく誤魔化せたかな、と心の中で安堵した。
自分がいちいち不安定になっていては駄目だと思う。
それ以上に目の前の一騎は、本当は崩れそうなくらい不安定なのではないかと思うから。
でも、一言発する毎に辛そうな表情を深くする一騎を見ていられなかった。
「今度からさ、家に泊まりに来ないか?」
総士は自分の気持ちを吹っ切るように一騎に話しかけた
。
一騎の父親は相変わらず家を空けることが多いし、加害者がいつまた戻って来るかもわからない、
それに何より、こんな状態の一騎を一人で家には置いておけないと思ったから総士は自分の家に呼ぼうとした。
幸い、総士の両親は二人とも外国に長期出張していて家には今のところ総士しかいなかった。
「でも…」
「わかんない所いっぱいあるんだろ、物理の他にも」
「ある…けど」
「ちゃんと、教えてやるから」
総士は優しく笑って、ぺち、と一騎のおでこを叩く。
すると一騎は困ったように総士を見て、それからふわりと笑った。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「お返しに何してもらおうかなぁ」とふざけて言えば、
「夕食と朝食作るから、どうせ総士、ちゃんと食べてないんだろ?」と言われてしまって、
嬉しかったけれどなんだか一騎の方が保護者みたいな感じになってしまいそうだと総士は思った。
総士が部屋に入ると、ちょうど一騎が目を覚ました所だった。
総士はベッドの側にしゃがむと力なく放り出された一騎の手を取る。
そのまま顔を覗き込めば、一騎は頼りなく表情を緩めて総士を見上げた。
ふと時計を見ればまだ夕方の6時で、過ぎた時間の短さとめまぐるしく起こった数々の出来事に、
総士はなんだか現実感を失ってしまいそうな気がして、思わず何度か瞬きを繰り返した。
総士が一騎の部屋に入って身動きの取れなかった一騎を見つけてから今まで3時間、
あの後、加害者である張本人の大学生は逃げるように家から出ていき、
追いかけたい気持ちは多々あったのだが、泣きながら震えの止まらない一騎を一人残しておくわけにもいかず、
総士はそのまま一騎を抱きしめ続けた。
しばらく経って一騎の身体の震えが収まってくると、総士は一騎の父親に事の経緯を伝えようとしたが、
「心配かけたくないから、言わないでほしい」と一騎に懇願されて押し掛けた携帯の通話ボタンから
そっと指を離す。
警察に言えば犯罪になるような行為に襲われていたというのに、と思うと総士はあの大学生が到底許せなくて、
何とか探し出して罪を償えと言いたい気持ちでいっぱいだったが、
「誰にも言わないで…俺なら、大丈夫だから」と必死に訴える一騎を前にすると何も言えなくなってしまった。
「わかった」と一言つぶやくと、安心したように一騎は少し笑って、そのまま意識を失った。
少しも大丈夫じゃなかったくせに、とぐったりした一騎の身体を抱きとめながら
総士は歯がゆい思いがこみ上げた。
そして一騎をベッドに横たえると総士は傷の手当をする、包帯を巻くついでにどうしても気になってしまって
「ごめん」と呟きながら一騎のシャツのボタンを外して上半身を露わにした。
おそるおそるその肌に目線を移したが、前日に総士が見た時から新しく増えた痣は見当たらなくて、
なんだか妙にほっとする。
身動きの取れない状況の中で一方的に暴力を振るわれたわけではなさそうだと、
それだけでも総士は救われる思いだった。
知っているつもりになって全く知ることの出来なかった幼なじみの身に起こっていた事。
長い間その心に刻み込まれた恐怖と絶望の記憶は薄れる事なんてあるのだろうか、と漠然と思ってしまう。
何か、支えてあげられる方法は見つけられるだろうかと不安な気持ちばかりが溢れそうになって、
総士は思わず俯いた。
そっと、外したボタンを元通りに掛け直す。
「ごめん」
総士はまた呟いて、その上に布団を掛けた。
「総士」
目を覚ました一騎が呟いて、総士はなるべく安心させるようにその手を両手で包みながら一騎を見る。
「来てくれて…ありがと」
「一騎」
「総士がいてくれて、ほんと…よかった」
そう言って一騎は総士の手を握り返した。
「あいつが出てってから、総士の声聞こえて、来てくれたんだって思ったけど、俺…」
「喋らなくて、いいから」
「俺、総士がいなかったら」
「一騎」
総士は一騎の声を無理矢理遮る。
今は、思い出さなくていいからと言葉にはしなかったが、
強くそう思って一騎の右目を覆う包帯にそっと触れると「痛くないか?」と小さく言った。
「ちょっと痛いけど、大丈夫」
と答えた一騎に優しく微笑みかける。
総士の笑顔につられて表情を緩めた一騎を見て総士は、うまく誤魔化せたかな、と心の中で安堵した。
自分がいちいち不安定になっていては駄目だと思う。
それ以上に目の前の一騎は、本当は崩れそうなくらい不安定なのではないかと思うから。
でも、一言発する毎に辛そうな表情を深くする一騎を見ていられなかった。
「今度からさ、家に泊まりに来ないか?」
総士は自分の気持ちを吹っ切るように一騎に話しかけた
。
一騎の父親は相変わらず家を空けることが多いし、加害者がいつまた戻って来るかもわからない、
それに何より、こんな状態の一騎を一人で家には置いておけないと思ったから総士は自分の家に呼ぼうとした。
幸い、総士の両親は二人とも外国に長期出張していて家には今のところ総士しかいなかった。
「でも…」
「わかんない所いっぱいあるんだろ、物理の他にも」
「ある…けど」
「ちゃんと、教えてやるから」
総士は優しく笑って、ぺち、と一騎のおでこを叩く。
すると一騎は困ったように総士を見て、それからふわりと笑った。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「お返しに何してもらおうかなぁ」とふざけて言えば、
「夕食と朝食作るから、どうせ総士、ちゃんと食べてないんだろ?」と言われてしまって、
嬉しかったけれどなんだか一騎の方が保護者みたいな感じになってしまいそうだと総士は思った。